曖昧で緩い世界

自由に働けるようになりたい。面白いことを考えて、みんなも自分も楽しくなるモノを作りたい。

「あなたの知らない世界」は「私が知らない世界」

今、僕の職場環境は多様なバックグラウンドを持つメンバーが働いている。

 

 

最近、同じチームの女性2名から面白い話を聞いた。

 

1、「友達のお店の人が誕生日だったから朝4時まで飲んでて今日2時間しか寝てない!えへっ!」

 

2、「この前一緒に◯◯やってるメンバーの年上の人にプレゼントもらっちゃった!その人婚約者いるのに。怖いー!」

 

うーん…。

で?それ楽しいの?っていうのが僕の感想。

1は、地元にずっと残ってる友だちの結婚式に行ったら、久しく交流の無かったヤンキー的な人がいてちょっと引く感じみたいな。

2は、ていうかその人どうせ残念な人でしょ?

 

結局、「おれはもっと楽しい人生送ってきたけど、あなた達かわいそうだね」っていう事を言いたくなったわけ。

 

でも、コレって完全に間違ってるよね?

 

おれそんな良い人生送ってない。

虚構の優越感に浸りたいだけ。知らない世界に「楽しくなさそう」ってレッテル貼って自分の人生を肯定したいだけ。

 

「あなたは俺がすごしたみたいな楽しい世界知らないんだね」

ってことは

「私はあなたが過ごした楽しい世界を知らないんだよ」

ってことと同義。

 

世界は広い。自分が知らない世界の方が広い。それを認識するのって難しいよね。それを認識できていない人が大半だもんね。

 

自分の知らない世界を「僕はこの世界を知らない」と認識して、知ろうとする姿勢を忘れないようにしたい。

 

あんまり関係ないかもしれないけど、昔読んだ岡田斗司夫さんの本の一節を思い出しました。

 

問題は「強い主体性」です。

つまりそれって、「この世界に対する責任感」「関わろうとする意思」とうい意味です。

 

 

 

これは刺さった言葉。

 

さて、寝よ。

 

 

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