曖昧で緩い世界

自由に働けるようになりたい。面白いことを考えて、みんなも自分も楽しくなるモノを作りたい。

脱社畜という野心(でも他人にすすめては無い)

この2冊をまとめ読み。自分でもなぜ?とおもう組み合わせ。

 

野心のすすめ (講談社現代新書)

野心のすすめ (講談社現代新書)

 

 

 

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

脱社畜の働き方~会社に人生を支配されない34の思考法

 

 

まず前提を確認。著者は、前者は日芸出身の作家さん、コピーライターとしても作家としてもすごい賞をとってる、昔の人、ブス、目立ちたがり、野心まるだし、なんかすごい。後者は東大出身のフリー(なのだろうか?)の人、ブロガー、元起業家、プログラマー?、ゆるい雰囲気がする。さて、著書のタイトルだけ見るととっても対称的なこのふたり。でも、同時に本を読みたら、なんだかとても似ている。なんでだろう?

 

結論は、野心ありき。その向かう方向が違うんだってこと。

 

林さんはとてもすごいなって思うけど、ちょっと時代がずれてる感が否めない。だって昔の話だもんね。すごい、でも今じゃない。日野さんは、なんとなく最近はやりのノマドとかの流れを語る人かと思えばそうではない。かなり上位の教養と知識と能力があってこその「脱社畜」を目指す人。

 

で、思ったのが、今の時代に「脱社畜」を目指すのってかなりの「野心」だよね、ってこと。なんだかんだでさ、脱社畜とかノマドとかで成功出来てる人って「かなり優秀」な人だけなんだよね。向きが違うだけで、時代が違えばこの人たちもごりごりの有名人になって何じゃないかって。phaさんだって超高学歴だしね。林さんと違うのは、その生き方を他の人に進めたりしないこと。「すすめ」って言い方は優しいけど、実際は「強要」とか「見下し」を含んでるからね。なんでできないのこいつって。でも今の人はそんなこと言わない。「僕はこんなことできるよ。どう?」ってう提案。

 

どっちがいいかとかではないんだけど。今は後者が主流になるよね。結局僕もふくめ優秀でない平凡な人が、どっちに憧れるかって話なんだ。どっちが身近?どっちが楽しそう?どっちができそう?いや、どっちもやるよ。僕はね。